ある人から面白い話を聞きました。要約しますと「瞑想しようと思ってするのは瞑想なんかじゃない。瞑想は気づきであり、それは特別のものではなくて何気ない普段の生活の中にある。すなわち、気づいて生きていることが瞑想なんだよ。」という内容でした。目を閉じて心を静かにしていく瞑想は瞑想じゃないの?って意外に思いますよね。難しい理論や理屈は分かりませんが、今日はこのことについてちょっと考察してみたいと思います。
「気付き」の反対の言葉は「気付かない」となります。私たちが生きている中で気付かないでいるということは、「気付き」を閉ざしているわけであり、遮断なんです。自分と自分以外のものが遮断されている。「周りのことなんて興味も無いし、知ったことじゃねえよ。」といった感じでしょうか。いつも何かを考えていて、自分の内側で起こっている変化についても何も気付いていないことがほとんどです。
「気付かない」というのは自分以外の周りとの遮断であり「私」という村八分を作ってしまいます。「気付くこと」によって初めて「気付かない」という遮断を外すことになります。この世に存在する全てのものが分け隔てのない無限の一つであるという考え方をベースに考えますと、「気付いていること」が如何に大切であるかを思い知ります。
常に気付いていることはワンネスの基本。すべてはいかされて生きていてあなたと私といった区別はありません。あなたの痛みは私の痛みであり、あなたの喜びは私の喜びなのです。もう十数年前になるでしょうか、僧侶の公方俊良氏は静かに話されました。「私たちは合掌をする時、右の手と左の手を胸の前で合わせます。右手があなたで、左手が私。しかしあなたと私は別々のものじゃなくて一体ですよといった意味があります。」こうした伝統文化の中にもさりげなくワンネスが語られているのです。







